集合意識に刻まれた記憶〜神殿娼婦だった彼女の前世からのメッセージ〜
- Ayako Lux
- 4月28日
- 読了時間: 4分

ヒプノセラピーを通して前世の記憶に触れる体験を重ねていくと、あることに気づかされます。
それは、まったく別のクライアントたちが、不思議なほど似通った前世の記憶を語ることがある、ということ。
たとえば、「魔女だった」「修道女として生きていた」「巫女だった」「花魁だった」「修行僧だった」……。
まるで、何本もの木が森に立っているように、一人ひとりは異なる人生を歩んでいるようでいて、深い地中ではその根がしっかりとつながりあっているかのようです。
潜在意識は集合意識とつながっている──。そう言われるのも、うなずける体験です。
さて、今日は、ある女性とのセッションでの深い旅をご紹介します。
彼女は長年、男性に対する根強い不信感と嫌悪感を抱えてきました。その感情の源に触れるため、前世の記憶へと入っていきました。
催眠状態に入った彼女が出会ったのは、「神殿娼婦」として生きたひとつの過去生。
18歳の彼女は、嵐の夜、神殿の中でずぶ濡れになりながら神に問いかけていました。
「神よ、私は純粋ではない思いで訪れる男たちを受け入れ、交わらなければなりません。
それが神殿娼婦としての役目だから……。
でも、私はひとりの男性を愛してしまいました。
彼以外の誰とも交わりたくありません。
それでも私は、あなたへの愛を貫くために、神殿娼婦として生き続けなければならないのでしょうか」
彼女の母親もまた、神殿娼婦としての使命感を持ちながら、娘が気高く役目を果たせるよう、愛をもって育てていたことが、幼少期の記憶からも伝わってきます。
成長した彼女は、愛する男性とひとときの時間を過ごしますが、神殿に生きる者として、その関係を断ち切らざるを得ませんでした。
やがて彼女は子どもを授かります。愛する人と添い遂げることは叶わなかったけれど、命をつなぐことで愛を残せたという、魂の確かな実感がありました。
そして、その男の子が希望をくれる存在となり、その子はやがて、女性の悲しみに寄り添える、心優しい男性へと成長していきます。
けれど、30歳を迎えたある日、神殿に兵士たちがやってきます。彼女は捕らえられ、両足を切断され、喉を切られ命を落とします。
──その手を下したのは、若き日に愛した彼でした。
彼は命令に背けず、自らの手で最愛の人の命を絶たねばならなかった。その後の彼は、魂の半分を失ったかのように、茫然自失となり、ただ「自分もここで死んでしまいたい」と呟いていました。
魂の世界に召された彼女は、深い安らぎの中にありました。そして彼女の思いは、こう語られていきます。
「私は正直に、潔く生ききった。
ただ、残していく息子が心配。
そして……あの人(彼)も可哀想。
苦しみや後悔を抱えて、これからを生きていかねばならない彼を想うと、胸が痛む」
その魂を迎えた「神」は、光に満ち、慈愛そのものの存在。彼女に優しく語りかけました。
「よく頑張った。
よく私を信じ、愛し続けた。
その思いは永遠に残る」
前世の彼女から、今を生きる彼女へのメッセージは、こうでした。
「不安なのはわかるけれど、委ねなさい。
委ねることでしか、答えは得られない。
間違いなんかじゃない。
すべてに意味があり、いまのあなたがいる」
セッションの終わりに、彼女はしみじみとこう言いました。
「神殿で感じた“神”は、とても温かく、光そのものでした。その存在と触れたとき、深く理解したのです。“男性は女性と交わることでしか、この神聖な感覚に触れることができない”。女性は、出産という体験を通してそれを知ることもできるけれど、男性にとっては“恍惚とした交わり”の中でしか、それを味わえないのだと。だからこそ、神殿娼婦は“その神聖な感覚”へと導く役割を担っていたのだ、と」
彼女はその感覚を、理屈ではなく、魂の深いところで「腑に落とした」のでした。
ヒプノセラピーの醍醐味は、まさにこの「体感覚での理解」にあります。彼女のように、自らの魂で触れたものは、どんな言葉よりも深く人を癒してくれる。
そしてこうした体験は、個人を癒すだけでなく、集合意識に刻まれた、長きにわたる女性たちの悲しみや、愛するがゆえに権力に翻弄され、傷ついた男性たちの魂をも、静かに、でも確かに、癒していくのだと私は思うのです。
ひとりの魂が癒されることは、森の一本の木の根が潤うようなもの。それはやがて、地下の見えない根を通して、他の木々、他の魂たちへと静かに優しく、癒しを届けていきます。だからこそ、私たちはまず、自分自身の深みに向き合うことから始めるのです。
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