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神聖なる女性性と男性性 - デイヴァイン·フェミニンとデイヴァイン·マスキュリン

更新日:4月9日



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“All these things he will do out of ignorance of the Law,and as a man dying slowly cannot smell his own stench,so will the Son of Man be blind to the truth:that as he plunders and ravages and destroys his Earthly Mother,so does he plunder and ravage and destroy himself.For he was born of his Earthly Mother,and he is one with her,and all that he does to his Mother even so does he do to himself.”— The Fourth Gospel of the Essenes, translated from Aramaic by Edmund Szekely


「こう言ったすべての過ちを、彼はこの世の法則を無知であるが故におかしてしまう。死が近づいたものが己の死臭に気づかぬのと同様に、人というものは真実が全く見えていない。 母なる地球を凌駕し、破壊している。それはつまり彼が自分自身を凌駕、破壊しているのと同じことだと。なぜなら彼自身、母なる地球から生まれたのであって、地球にしている仕打ちは自分自身にしているのと同じことなのだから」

-エッセネ 平和福音書より引用


女性らしさ、男性らしさという概念は、いにしえの神話の世界における女神、男神がその原型となって形作られてきた傾向が強く見られます。シュメール、エジプト、インド、ギリシャ、アジア全土など世界各地の様々な文明でそれぞれの神話が語り継がれてきました。日本でも古事記や風土記に様々な女神、男神が登場しますね。


オーストリアのドナウ河畔、ヴィレンドルフ村で1908年、旧石器時代のものとみられる人型の像が見つかりました。わずか11cmのこの像は、女陰、乳房、膨張した腹部から、明らかに女性像だということで「ヴィレンドルフのヴィーナス」と呼ばれ一躍有名になりました。


その後、近辺では次々と同様の女性像が出土し、それらは約3万年前、中には5万年前に作られたものもあるといいます。その土地では取れない石灰岩でできていることなどから、ヴィレンドルフのヴィーナスは他の離れた土地から持ち込まれた、また11cmという小型サイズと、立つように作られていない点から、携帯用につくられた女神像だと推定されています。

何万年も前、旧石器時代の人は、なぜ女性を模った像を作り、携えていたのでしょうか。


世界各地の古代文明の遺跡からは、女神像だと思われる遺跡が数多く発掘されています。日本でも、約1万3000年前の縄文遺跡から女性を模った土偶が発掘されており、ほとんどの土偶は女性像であるとされています。 生命を育む女性の神秘と力を表現し、呪術や祭祀の道具として豊穣や出産を祈るために用いられたと考えられ、当時の人々は女神信仰をしていたと推定されています。


ところが、紀元前1500年頃から鉄器の製造が盛んに行われるようになり、同時代に起こった民族大移動が、それぞれの地域に鉄器を伝え、鉄器時代をもたらしました。鉄の農具や武器が量産されるようになり、農作物などの生産量が増大して富の蓄積が進み、また各地の王がより強力な軍事力を保持するようになっていきました。王たちはやがて蓄積された富と武力を持って周辺地域へ侵略支配へと向かい、軍隊を用いての争いの歴史が始まったのです。

富の蓄積は占拠と分裂を、軍事力は暴力による恐怖支配を意味し、争いと不平等を生みます。それは思いやり助け合う平和とは反対の方向で、私たち人類はそれ以来3000年以上もそんな歴史を繰り返しているのです。


男性性、女性性というアーキタイプに当てはめて短絡的に、競い争い恐怖統治をするのが男性的な性質で、和合と平和が女性の性質として、男性性が悪いと言っているのではありません。そのバランスが大事だとお話ししたいのです。


3000年以上続いてきた争いと破壊の歴史、それは同時に、包括し育み無償で愛するという、人が本来持つ優しい性質を抑圧してきた歴史だと言い換えることができます。世界中の神話に登場する様々な女神たちにそう言った性質が見られることから、そんな優しくもパワフルな性質を神聖なる女性性(デイヴァイン·フェミニン)と言い、人として誰もがその性質を思い出そう取り戻そうと、近年盛んに説かれるようになってきています。


女性性の特質である優しさやゆとり、精神性や直感力や感性を軽視抑圧してきた結果、バランスの欠如がマックスに極まった状態が現代の物質社会だと言えます。過度な競争、管理社会において、戦争、人種差別や民族間の闘争など分離分裂が世界中で起きていています。宗教が違う、肌の色が違う、性別が違う、文化が違う、階級が違う、価値観が違う。違う点ばかりに意識を向け、批判したり蔑んだり攻撃したりする。そして物事を分けて考える癖が発達して、自分のものとそうでないもの、人間とそうでない生物、自分と自分以外の他者との間の分断が過度に進んでしまった。そうして人は自然から離れ、目に見えないものの存在を忘れ感じられなくなってしまった。


今から2400年ほど前に存在したと推定されるエッセネ派の福音書では、冒頭の引用にあるように、現代社会に生きる私たちの直面している問題点が鋭く指摘されています。

第6章では、家族を大切にして幸せにすることは社会全体を幸せにすることにつながる、と書きました。家族を理解しようと努力することで、許しの境地に至ることができる。許すことが癒しにつながると。


丁寧に見つめて、理解共感し、許し癒す。これはまさに、デイヴァイン·フェミニンの性質でもあります。この章では、神聖なる女性性、デイヴァイン·フェミニンにスポットを当ててお話ししましょう。


有史以前からあった女神信仰


世界各地に存在した古代文明の遺跡から、女神信仰の形跡が数多く発掘されています。シュメール文明のイナンナ、インダス文明のラクシュミー、エジプト文明のイシスなどは文明が始まる以前、古の時代から祀られてきた女神として有名です。


日本国内でも、各地に点在する縄文時代の遺跡から様々な姿形や大きさの土偶が発見されていますが、紀元前14,000年から紀元前300年の縄文時代の遺跡から見つかった土偶は、この時代以降の遺跡にはまったく見られません。そして土偶は全て女性像であり、当時の人々は女神を祀るために女神の姿を模って土偶を作ったといわれています。そしてその多くは妊婦の像であることから、当時母性が神聖なものとして祀られていたという説もあるようです。


縄文時代は今からおよそ16,000年以上前から始まり13,000年以上も続いたと言われています。13,000年間とはつまり、エジプトのギザの大ピラミッドが建設されたと言われる時代から現代までの期間の3倍以上もある、とてつもなく長い年月です。


縄文人は主に狩猟採集の生活をし、木の実や魚貝類を食べていました。文化的に豊かで、縄文土器を作り、土偶を祀って祭祀を行っていたようです。定住生活をし、村を作って一箇所に何世代にも渡って生活していました。地球上の他の地域では、狩猟採集時代の人々は移住生活をしていたのに比べて、これはとても珍しいケースで、定住生活の形跡が見られるのは日本以外では北アメリカの一部地域でしか見つかっていません。


1 Dow, Gregory K. and Clyde G. Reed. “The Origins of Sedentism: Climate, Popu- lation, and Technology.” Journal of Economic Behavior & Organization. 119 (2015): 56-71. https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0167268115001985. Accessed December 1, 2023.


学者たちはこの理由として、縄文人は自然と共存する術に長けていて、実のなる木を植樹したり、豆を育てたり、魚の取れる水辺に村を形成したためではないかと推測しています。日本の温暖な気候と豊かな自然がそれを可能にさせていた稀有な恵まれた環境下だったことも大きな要因の一つでしょう。


そして大変興味深いことに、縄文遺跡から発掘された縄文人の遺骨からは争った形跡がなく、武器も見つかっていないというのです。これはつまり、当時の人々は部族間同士でも調和し合い、傷つけあったりする事なく、平和に暮らしていたという事です。13,000年以上もそういう時代が続いたのです。


10,000年前の縄文人は自然と共に生き、その息吹や移り変わりに敏感で、自然の恵みを感謝と共に享受していた。自分が自然の一部であり繋がっていると自覚していたし、それは周りの人間とも、時空を超えた先祖やすべての命とも繋がっていると信じ、畏敬の念を持って大切にしていた。


そんな生き方を、私たち人間はいつの時代から失くしてしまったのでしょう。縄文土器や土偶は弥生以降なぜ忽然と姿を消してしまったのでしょう。


弥生時代の始まり、それは稲作文化の始まりでもあります。興味深いことに、縄文時代の村には村同士を区切る壁がなく、弥生以降はそれができてきます。縄文時代、死者を祀る墓のようなものが村の中心にありましたが、弥生以降は村を囲む壁の外に墓は設けられています。


稲作の発展と共に、人は食料を大量に作って備蓄するようになりました。備蓄した食料は多ければ多いほど豊かで楽に暮らせるという概念ができ、やがて備蓄を略奪するための争いが起きるようになります。それは同時に、人々が女性を模した土偶作りをやめ、母性を奉ることをやめた時期でもあり、死を忌み嫌い先祖の霊を遠ざけ始めた時期でもあるのです。


あなたの内面に存在する母なる女神


世界各地の旧石器時代の遺跡を発掘調査した結果、日本の縄文時代に限らず、当時世界中で祀られていたのは母なる女神(地母神)だったとわかっています。母なる女神の前に創造主は存在しなかったのです。


生きとし生けるものすべては母なる女神の子であり、この星に生きるものすべては繋がっていると考えられていたのです。


ところが旧約聖書の記述によると、遠い昔、父である創造主によって人間が作られ、他のすべての種の上に立つものとして生を受けたのであると記されています。エデンの園の神話で有名なストーリーですね。ここで、母なる女神の代わりに父なる創造主が出てきます。


創造主によってアダムの肋骨の一部から作られたイヴが、創造主の言いつけにも関わらず、知恵の木の林檎の実を食べてしまったことから、創造主は自分の言いつけを破った罪に対する罰として、すべての人類に苦しみを与えた。これがエデンの園の神話です。この世の苦しみは愚かな女イヴが想像主の言いつけに背いたことから始まった、とされているわけです。


エデンの園の神話には、母なる女神の存在はどこにもありません。命あるもの全てが母なる女神の子だったはずが、父なる創造主の元で人類だけが特別な種であるとされています。そして人類は創造主の怒りと罰を恐れ、罪を償うために苦しむのだと。


人類の歴史における旧約聖書の影響は有史以来脈々と続いています。旧約聖書が紀元前4~5世紀書かれて以来、母なる女神の存在が歴史から消えてしまいました。それはつまり、すべての命が母なる女神の子であり、平等に尊く、皆繋がっている、無条件に愛されている、という概念が失われてしまったということです。それと共に、人間が他の種より優れているのだから他を支配管理する、女は男に属するもの(イヴがアダムの肋骨から作られたもの)、人は罪深く愚かな存在で創造主を怒らせないように従わなければならない、という従属縦社会を作り、労働して苦しむことが当然であり良きことであるかのような概念ができていったのです。


そして旧約聖書が書かれ広がリ始めた時代は、紀元前3世紀ごろからとされる日本における弥生時代と同時期のことなのです。それ以降、人類の歴史はa争いと統治支配の歴史へ変わり、現代まで2500年もの間、続いているのです。


物質主義と極端な個人主義が社会の主流となり、厳しく休みない競争に勝ち抜くことが成功への道と教えられて子は育ち、自然との繋がりも人と人との温かな繋がりも感じられなくなっています。


人類はいつになったら、母を痛めつけること - 母なる地球、母なる自然、母なる大地、母なる海、母なる女神を痛めつけることを止めるのでしょう。戦争をして争えば、傷つき殺められた戦士の母が嘆き悲しむ。それは戦士の母だけの悲嘆ではないのです。なぜなら私たちは繋がっているのですから。


私たちは誰もが母から生まれてくる。人を含むすべての生命は一つの例外もなく、母から生まれる、つまり母の体の一部として胎内にいたことがあるのです。意識の上では例え忘れてしまったと思っていても、魂が記憶を失うことはない。母の胎内で母の一部として母と繋がっていた記憶を、私たちの魂は覚えているのです。


そしてそこでは、母と繋がっていたと同時に霊界と現世と通じていたという記憶もあるはずなのです。生と死は母の胎内で繋がっているのですから。縄文人や古代文明の人が妊婦を模った土偶を祀ったのは、子宮がそういった神秘の世界だと当時の人は覚えていて、語り継がれていたからではないでしょうか。


子宮は感情を溜める期間ですから、悲しい思いや苦しい思いは子宮に蓄積します。それを浄化するために、女性の体は月経という機能があるわけなのですが、それでも浄化しきれないほどの痛手や悲嘆は、子宮に残ってしまいます。


そこは霊界と繋がる器官ですから万物とも繋がっています。集合意識といっても良いでしょう。母が悲しめばその子だけでなく地球全体が悲しむのです。


あなたは輪廻転生を信じますか?もし私たちは輪廻転生を繰り返しているのだとしたら、魂は死なないという事になります。あなたは過去にもすでに何度も人として生まれたことがあるはずで、男性だった人生も女性だった人生も経験してきているはずです。そして、魂は全てを記憶していますから、誰もが女だった、母だった過去、子を胎内に宿した過去があるはずなのです。そしてあなたはそれを覚えているはずなのです。


そんなあなたがもし、人を傷つけたり自然を凌駕するような行為をすれば、それは自分自身を悲しませ傷つけているのと同じ事なのです。


あなたは、女性はもちろん男性も、ご自身の内面に母性を携えているのです。神聖なる女性性、デイヴァイン·フェミニンは誰の内面にもある性質だというのはそういう事です。

そして人を心から愛する時、それはあなたの内面でデイヴァイン·フェミニンが深く癒された時で、その時初めて真から愛することができ、デイヴァイン·マスキュリンを受け入れて和合し、エゴは溶けて真我と繋がることができるのです。


ナイル河で沐浴


ナイル河はエジプトで「 女神イシスの涙」と呼ばれています。エジプト神話では、愛する夫オシリスの死に際してイシスが嘆き悲しんで流した涙がナイル河の氾濫を起こしたと言われています。涙の川の氾濫は家屋を流し村々を破壊しましたが、水が引いた後には作物の豊穣をもたらす肥沃な土地となりました。このことから、ナイル河は破壊と再生のシンボルともいえます。


私がエジプトに行ってみたいと思った理由の一つが、イシスの涙、ナイル河をこの目で見たいというものでした。


メソポタミア地域、そしてのちのエジプトは紀元前3200年ごろ、人類が文字を使い始めた起源となった場所です。エジプト文明はその後ギリシャ、ローマの文明へと続いていきます。

イシスはエジプト神話に登場する最高位の女神で、夫オシリスのバラバラになった遺体をつなぎ合わせて蘇生させ、オシリスが冥界の神となったところから、死者を冥界へいざなう女神とされ、またオシリスとの間にホルス神(ファラオの元祖、太陽の神)を生んだことからファラオの母なる神と崇めらてきました。


砂漠に住むとはどういうことか、私はエジプトに行くまでわかっていませんでした。空気は常に砂埃に霞んでとても乾燥していて、見渡す限り薄茶色の大地と霞んだ空。ギラギラと照りつける太陽が焼けるように感じるのです。そこを流れるナイル河は、乾ききった大地に潤いをもたらし、目に優しい緑を育て、涼を取る日陰を作ります。


ナイル河を行く船の上で数日過ごしたのですが、川では子供達が泳ぎ、女性達が衣類を洗い、牛に水を飲ませていました。川に沿って村々が作られ、移住が自由に認められないせいもあって、人は先祖代々その地に住んでいるのです。その光景は私に、デジャヴのような不思議な感覚を呼び起こしました。初めて見たはずなのに、なぜか懐かしい感覚でした。


2022年5月半ば、私は旅の途中でエジプトの古都、ルクソーを訪れました。ルクソーはナイル河の両岸に川に沿って街が構成されていて、日が昇る方角であるナイルの東岸には、ルクソール神殿など生を象徴する建物が、日が沈む方向のナイル川西岸には死を象徴する、王家の谷がありツタンカーメン王の墓もここにあります。


私たちは泊まったホテルの管理人に頼んで、川べりのドックからボートで、ナイル河沖の人目につかない小さな砂地に連れて行ってもらいました。観光客がナイル河に浸かることは、肌の露出が厳禁のイスラム教圏であることと衛生上の問題から、推奨されていません。そのため、人目につかない場所を探す必要があったのです。


その砂地についた頃には、日が大分西に傾きかけていました。川の水面に太陽の光が反射して、青く澄んだ水はオレンジがかってサーモンピンク色に見えました。川の流れは沖の方は急でしたが岸辺は穏やかで、私たちはそこでサンダルを脱ぎ、Tシャツとコットンパンツのまま水に入ることにしました。


足先をつけると、冷たい。外気の肌をジリジリと焼くような暑さとは対照的に、ナイルの水は氷のように冷たく感じられました。ゆっくり水の中へ歩いて行き、少しづつ入っていくと、水は冷たいのですが柔らかい感じがして、それは馴染みあるマウイ島のイアオ渓谷の水を彷彿とさせました。


肌が水を、喉の渇きを癒すかのように、ゴクゴクと吸収して、身体がリラックスしていきます。水の中にいるのが心地よくて、もう冷たさを感じませんでした。


私はなんとも言えない優しさに包まれていました。言葉にうまくできないのですが、その瞬間ただそこに、川の水に身を委ねて居るだけでいい、何も欠けていない、とても満たされた感覚があったのです。まるで、川の精霊に抱かれてゆりかごのように優しく揺られているようで、母なるイシス、母なる女神の腕に抱かれて心が穏やかで温かい。そのままでいいんだ、と私の存在が丸ごと受け入れられたような、そんな安心感がありました。


どれくらい経ったか、私達はやがて誰からともなく岸に上がりました。水を滴らせたまま、サンダルを履こうと歩き始めた途端、熱風が吹き付けてきて、私はそこで焚き火が焚かれているのかと思いましたが、それは今まさに地平線に沈もうとしている太陽の熱気でした。真っ赤に燃える巨大な太陽が地平線に近づき、対岸の家並みの影を水面に映していました。

夕陽と川の織りなす景色に見とれているうちに、濡れた服はあっという間に乾いていて、そこで私は父なる男神の圧倒的存在感を感じました。炎のような激しさと、瞬時の行動力を促すパワーがそこにあったのです。


帰りのボートの上で、私の胸はただその豊かなシーンとたった今体験した感動への感謝の思いでいっぱいでした。無条件の愛を与えてくれる母なる女神と、アクションに駆り立ててくれる父なる男神。デイヴァイン ·フェミニンとデイヴァイン·マスキュリン、私たちにはその両方が必要なんだと腑に落ちた瞬間でもありました。


エジプトで大自然の中に身を置いて得た体感を通して私は、デイヴァインフェミニンとデイヴァインマスキュリンのバランスと調和を取ること、それが現代に生きる私たちに必要だと確信しました。実際に体験、体感することで、叡智というものに触れ感覚で学ぶことができたのでした。


母性と父性


現代社会では特に西洋的文化圏において、男性性というものが歪められ、デイヴァイン·マスキュリン(神聖なる男性性)とは違った形で伝えられています。神聖な男性性は女性性に敬意を持つ性質ですがそれが歪められてしまった。その結果、デイヴァイン·フェミニン(神聖なる女性性)が抑圧され虐げられてきました。


女性も男性も、誰もが内面に併せ持っている、デイヴァイン·フェミニンとデイヴァイン·マスキュリンを意識し、大切にし、調和させることで私たちは強さとパワーを取り戻すことができます。


そうすることで私たちは、平和でお互いを尊重しあう、縄文時代のような健全な精神性の元に社会を再び築くことができるのです。自然と共生していること、全ての生命は繋がっていると感じ、愛を信じる力を育て、自分自身も他者も大切に慈しみながら生きる社会を作りたいと思いませんか?


ここで、デイヴァイン·フェミニンとデイヴァイン·マスキュリンとはどういったものか、意識してみましょう。特に抑圧されてしまっている、デイヴァイン·フェミニンを呼び起こすために、母なる女神と父なる男神を思い出してみましょう。あなたのイメージする女神性、男神性とはどういったものでしょうか?以下の4つの方法を参考に、あなたの内面にある母性と父性にアクセスしてみてください。


  • 母性とはどういった性質か。 母はあなたを生んでくれた存在です。あなたを身籠り、十月十日大切に胎内であなたを守り、あなたを生み、抱き、滋養を与えてくれた。それは見返りを求めぬ無償の愛です。母の無償の愛がなければあなたはこの世に存在しない。そして、あなたを素のまま受け入れ、どんなあなたであれ批判非難したり拒絶したり罰を与えたりせず、常にあなたの側にいてあなたを温かく見守り、いつでもあなたのために手を差し伸べてくれ、優しく抱きしめてくれる。無条件の愛、それが母なる女神です。母なる女神と、人間の母との違いは、人間の母は生身の身体を持っているという点です。肉体があるからセクシュアリテイも身体で感じることもでき、あなたを三次元的な意味で生み出すことができる。母なる女神はその創造性をもつ母性を神格化したものです。

  • 父性とはどういう性質か。父とは、あなたを守ってくれる存在です。守るためには、危険かそうでないかを鋭敏に感知せねばならず、そのためには直観力、叡智、パワーと自信が必要となります。残念ながら近年私たちは、危険とそうでないものの区別と認識の大切さを教わってこなかった。結果、常に戦闘態勢でいるために疲れ切ってしまっている人が溢れかえっています。 父とは、母に対しその愛の偉大さと創造性に大いなる敬意を持ち、女性の美しさと優しさに深い愛情を持っています。女性無くしては、この地球は存在しない、自分自身もこの地球に生まれてこられなかったと真から理解しています。


  • 母性、父性に関して意識して考えてみる。私たちは皆んな、自身の性質として母性も父性も両方併せ持っています。あなたは、母性、父性、どちらの性質が強いですか?私は元来、父性よりは母性の方が強いと思いますが、勝気で何でも自分で押し進めようとするところがあり、そういう時は父性的な性質を使っているのだと思います。とはいえ、実際に母親でもあるので、子育てにおいて、また飼い猫の世話をするときなどは、大いに母性を使っていると思います。どちらも意識してみるだけで、ここはもっと母性を使って相手の話を聞いた方が場が和むとか、子供のことを気にかけて過剰に反応してしまいがちだからここはもっと父性を使って大きな目で見守ろうとか、自身の感情や行動パターンを俯瞰してみることができます。自分の内面の母性と父性、女性性と男性性のバランスが取れると、あなたと関わる人はもちろん、あなた自身も楽になります。


  • 内面のバランスが大事。 デイヴァイン·フェミニンとは自身の内面で母性と父性のバランスが取れている状態のことでもあります。内面が調和のとてた状態でいると、周りを見る余裕と包容力が生まれます。心が澄んで、直感を信じられるようになり、周りの人や自然界の万物や聖霊とありのままで交わるようになる。俗世的な女性とか男性とかの概念を超越した、デイヴァイン(神聖な)ものです。陰と陽の和合であり、それが創造力となって新たな現実と新たな世界を作っていくパワーなのです。


実習


1.あなたが理想と思う母親像を書き出してみましょう。____________________________________________________ ____________________________________________________ ____________________________________________________ ___________________________________________________ ____________________________________________________ ____________________________________________________ ___________________________________________________


2. あなたが理想と思う父親像を書き出してみましょう。____________________________________________________ ____________________________________________________ ____________________________________________________ ___________________________________________________ ____________________________________________________ ____________________________________________________ ___________________________________________________


3.上で書き出した母親像、父親像にあなたご自身の性質を照らし合わせてみて、どの性質が’足りていないと思われるか書いてください。____________________________________________________ ____________________________________________________ ____________________________________________________ ___________________________________________________ ____________________________________________________ ____________________________________________________ ___________________________________________________


4.3番で書いたご自身の足りていないと思われる性質は、母親像、父親像、どちらからの性質でしたか?足りない性質があるのが当たり前で、どちらも完璧な人は存在しません。ただ足りていないという事実を認識してご自身の中で納得し、承認してあげることが大切なのです。内面の母性、父性をしっかり擁いてあげてください。そしてどう感じるか、書き記してください。

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5.もし、お母さん、お父さんに対して何かネガテイブな感情が湧いたら、その思いを別の紙に書き出します。全て書き尽くしたら、その紙を粉々に破き、燃やします。その灰を、土に返して下さい。母なる大地が受け止め、浄化して宇宙に昇華してくれます。


サマリー


デイヴァイン·フェミニン (神聖なる女性性) は、過去2500年の歴史の中で歪められ、抑圧され、凌駕されてきた経緯があります。それは地球、自然、信仰心、性、死生観とも重なります。現代社会には様々な問題点が蔓延し、戦争、貧困、食糧危機、自然災害、差別、情報統制など、挙げだしたらきりがありません。そんな世の中で子供たちにどうやって、未来は明るい人生は素晴らしい、と感じさせることなどできるでしょう?私たちができること、それは一人一人が自身の内面にある母性と父性を癒して人として本来の姿を取り戻し、デイヴァイン·フェミニンを擁くことだと思うのです。デイヴァイン·フェミニンの性質を育てていくことで、私たちは元々どんなに素晴らしいか、美しい心を持っているか、どんなに深く強い愛を持っているか思い出せると思うのです。それは誰の内面にもあるものなのですから。


 
 
 

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