愛道 第十三章 集団意識を書き換える
- Ayako Lux
- 2024年8月30日
- 読了時間: 27分
更新日:4月9日
“"Fate" can be an acronym for "From All Thoughts Everywhere." In other words, the consciousness of the planet. The "collective consciousness".”— Neale Donald Walsch
「『 Fate』(宿命)と は『 From All Thoughts Everywhere 』(あらゆる場所からの思考すべて)の頭字語と考えることができます。言い換えれば、宿命とは地球の意識、すなわち『 集合的意識』なのです。」ー ニール・ドナルド・ウォルシュ
2023年8月8日午後、私はマウイのある友人からテキストを受け取りました。最初何気なくザッと目を通して、一瞬目を疑い、その幾分長いテキストメッセージを読み直しました。心臓がドキドキ早鐘を打っていました。未曾有の暴風とともに大規模な火災が発生し、港町ラハイナでは人々が火の手を逃れるために海に飛び込んでいる、という内容でした。
その当時マウイ住民だった私は、ちょうど愛知の実家に里帰り中でした。メッセージを読んでから、自分でネットで調べた状況から、それは普通の山火事なんかじゃないとすぐに悟りました。マウイの留守宅にいる息子の安否を確認し、無事とわかって胸をなでおろしたものの、翌朝も騒つく気持ちで落ち着かず、その日の予定はキャンセルして、私は水の神が祀られている山の麓に詣でました。
祈りたい。火はまだ治っておらず、水が足りない現地の状況を思い、雨を降らせて欲しい、その一心で、私は手を合わせました。普段から祈りの力を信じていますし、こんな状況下では、祈る以外に出来る事はありません。
前の章で、古代信仰は純粋行であった事。誠心誠意が自然と滲み出るものと書きました。その時神は決して自分の外にいるものではなく、内面に内包しているものなのです。
そしてそこに、私は人の力(奇跡の力とも言えるかもしれません)、真の強さがあると思っています。つまり、人類の強さとは、私たち一人一人が神を内包できる強さなのです。その強さを発揮する方法はただ一つ、信じる事です。
私が、このマウイの大火災から学んだこととはなんでしょう?失われた多数の犠牲者の命は、その意味とは一体なんだったのでしょう。先祖代々受け継いできた土地家屋を失い、子を亡くした人々の悲しみはいつ癒るのでしょう。そして私自身の失意とも言える激しい胸の痛みは、一体何のために味わわなくてはいけなかったのでしょう。
書くことは、自身の気持ちを吐露し、それまで気づかなかった思いを改めて深く見つめて、意識し、立ち直るツールになるので、私は、この章を、マウイへの祈りと、地球とその住民である人類への祈りに捧げたいと思います。
マウイで起きたことは、常夏の楽園、ハワイという遠い島で起きたよそごとではなく、地球に住む私たちみんなにつながることであり、日本は特にハワイと歴史的にも深い絆がある土地なので、なおさら、その意味を掘り下げ、知ることは、私たち日本人にとって特に大事な意味があることなのです。
アロハ・スピリット
もし一度でもハワイを訪れたことのある方なら、その島々が特別な地であると実感されると思います。濃い緑とカラフルな南国の花々、青い澄んだ海と空にかかる虹、鳥がさえずりフラダンスの音楽が聞こえ、貿易風が心地よくそよいでいる。街中を外れればすぐに、自然を身近に感じ、そこからの癒しのエネルギーを受け取ることができる、地上の楽園と言われる所以だと思います。地球上で最も美しい場所の一つであり、住人は、私も含め常々、そこに住むことができる幸運に感謝の念を持ちながら暮らしています。
古の時代から、ハワイの島々の人たちは、自然界の全ての目には見えないものたちへの深い畏敬の念を抱きながら、生活していました。水と大地の恵みなしでは生きられないとわかっていて、自然と共存していたのです。
ハワイアン達は、山の頂上から麓への傾斜に沿って、流れる水から水路を引き、主食であるタロイモを育てるために、タロ畑を作りました。それに沿って村は形成され、山頂に近い場所に住むものは狩猟し、中腹に住むものは果物と野菜を育て、裾野に住むものは海沿いに池を作って魚を捉えました。村人達は互いの獲物や作物を交換して補い合い、子供達を村全体で育てました。こうして人々は自然界と協調し、人間同士も協力しあって調和の元に暮らしていたのです。これが、アロハの心(アロハ・スピリット)の始まりです。日本人の和の心とよく似ていますね。
ハワイ州の州改訂法第5章に、「 アロハ・スピリット」に関する規定が以下のように記されています。
「『アロハ・スピリット』とは、各人の心と精神の調和を意味します。それは、各個人が自分自身と向き合うことを促し、他者に対して良い感情を持ち、接することを目指しています。生命の力を熟慮し、その存在感を感じた上で、『アロハ』は単なる挨拶や別れの言葉以上のものです。アロハは相互の尊重と愛情を意味し、見返りを求めずに温かさと思いやりを拡げることです。アロハは、我々が集団として、共に存在するために、一人一人が皆、他の人にとって大切な存在であるという、関係性の本質です。アロハとは、言葉にできないことを聞き、見えないものを見て、理解できないことを理解することを意味します。」
このように、アロハとは、無条件の愛であり、それが本能的な感覚だと説明されています。宇宙に存在するすべてのものと共生関係にあるということ、そして自分という存在はその中に在るのだと認識することです。アロハは、生命力であり、自然とのつながりであり、愛の表現であり、そしてそれらが世界全体に拡がるようにという希望です。
ハワイ文化の著者であり研究者のパリ・ジェイ・リーは次のように書いています。「太古の時代には、唯一の『宗教』は家族とすべてのものとの一体感でした。人々は自然界のすべて、植物、石、動物、土地、そして周りにいる人々と調和していました。彼らはすべてのものを尊重し、すべてのものを大切にしていました。」
ハワイのすべてのものとの共存共感というこのような観念は、アニミズムと呼ばれる自然信仰で、古代の日本の考え方と非常に似ているのです。
1990年の著書『A Hawaiian Nation: Man, Gods and Nature』で、マイケル・キオニ・ダドリーとケオニ・ケアロハ・アガードは、初期のハワイのアニミズム信仰について次のように説明しています。
「 西洋文明で主流となっている思想では、人間と神性の間には根本的な隔たりがあります。我々西洋文明では、神という一つの絶対的存在『創造神』という概念を持っていますが、そうではない思想を持っている文明圏では、人間と神聖の間にそのような隔たりがないのです。」
このように、八百万の神を信じる日本との思想の違いが明確に記されています。人間と神性の違いや隔たりは、一神教の概念です。一神教は、唯一の神、すなわち創造神である神(ゴッド)が存在すると信じる宗教です。一神教の宗教には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などのアブラハムの宗教が含まれます。また、ゾロアスター教やシク教なども一神教です。
歴史から学び未来を考えるーハワイの歴史
歴史を知ることは未来のためにとても重要です。ハワイにも、トロピカルな楽園、ストレスレスな気楽な生活、というような、世間の一般的イメージとは裏腹な歴史があります。あまり知られていない数々の事件や悲劇的な紛争が繰り広げられた、その歴史に光を当てることが何か役に立つのか?どんな意味があるのか?
2023年8月8日、マウイ島のラハイナの大火災で6,500人以上もの人々が家を焼失しました。愛するものを失った方々も大勢いらっしゃいます。これは、マウイだけの問題ではないのです。土地や水、人々の命の破壊といった類似の事態が将来起こるのを防ぐためにも、私たちは知らなくてはいけないと思うのです。以下に、なぜこの歴史が重要であるかを概説するために、さまざまな資料からハワイの歴史をまとめました。
1893年、それまで独立王国だったハワイは、アメリカとヨーロッパの資本家や土地所有者によって王政が倒されました。太平洋の中心に位置するハワイ諸島は、アメリカの軍事基地として戦略的に好都合で、アメリカが世界の超大国としてのし上がるのにも格好の資産的価値がありました。アメリカ合衆国による併合前、1875年の相互利益条約により、砂糖やその他のハワイ産物がアメリカで関税なしで販売されることに決められ、この条約により、ハワイは経済的にアメリカに依存せざるを得ない状況に追い込まれていたのです。
この条約に続いて、当時のハワイ王だったカラカウア王は銃を突きつけられて署名を強制され、1887年、新たな憲法が成立しました。「銃剣憲法」と呼ばれるこの憲法は、カラカウア王の権限を弱体化させ、ネイティブ・ハワイアンの土地権を奪い、外国人土地所有者に投票権を与えるものでした。
カラカウア王が泣く泣く銃剣憲法に署名させられた、その約100年前の1778年、英国からキャプテン・クックとその乗組員が西洋人として初めてハワイ、カウアイ島に到着しました。白い帆船でやってきた初めて見る白い顔の人々を、ハワイの人達は、平和の神、ロノ神の来訪だと勘違いし、大歓待しました。
ハワイアンは白い顔の人々の船や鉄に驚き、大変な興味を持ちました。キャプテン・クックは金属を交易することで旅の資源補給を行い、又、乗組員たちは鉄の釘と引き換えにセックスを求めました。キャプテン・クックの航海記録には、自分たちが住民に性病を感染させたのではないかという懸念が記されています。推計によれば、ネイティブ・ハワイアンの死亡率は、この西洋人達との初接触後、非常に急速に高まりました。
それ以降、はしか、水痘、ポリオ、結核などの多くの病気がハワイの人々を襲い、数十万人が死亡したのです。キャプテン・クックの到着から2年以内に、ネイティブ・ハワイアンの17人に1人が亡くなったと推定されています。1800年までに人口は48%減少し、1820年までには71%、1840年までには84%も減少してしまいました。
1820年、アメリカ最初の捕鯨船がハワイと日本の間に位置する日本海域でマッコウクジラの捕鯨し、それ以降、ハワイ諸島は、新鮮な地元の農産物や水の補給、捕鯨船の修理、そして新しい乗組員の確保に最適な中継地となりました。
オアフ島のホノルルとマウイ島のラハイナは、捕鯨艦隊の太平洋における主要な港となりました。ラハイナ港には「ラハイナ・ロード」と呼ばれる町への通路があり、船の良好な停泊地がありました。
1824年にラハイナ沖に停泊していた捕鯨船の数はおよそ100隻以上、その後30年でその数は3倍以上に跳ね上がります。ラハイナのフロント・ストリートと呼ばれる通り沿いには売春宿、酒場、宿屋が次々と開店しました。捕鯨の繁栄の中心地であるだけでなく、ラハイナはキリスト教布教の中心地でもありました。当時、世界中で行われていた、キリスト教とセットになった植民地支配の影響がハワイにも及んでいたのです。
アメリカ本土からの最初のキリスト教宣教師がハワイに到着したのは1820年でした。先ずはオアフ島、それから隣接する島々にも移り住んで布教活動を進め、1835年までには、ハワイの首長たちの多くがキリスト教に改宗しました。彼らの影響力で、キリスト教はハワイアン達にあっという間に広まったのです。
宣教師たちは迅速に島々全体に学校を設立し、ネイティブ・ハワイアンに文字、印刷書籍、そして西洋文化に適した技術や職業の訓練を提供しました。彼らの影響は宗教にとどまらず、ハワイの衣食住すべての文化、家族制度、土地保有や、貨幣の概念にまで及びました。
ハワイは貿易経済、宗教、政治的な利害関係が絡み、西洋各国の思惑によって蹂躙された地域となったのです。
西洋の影響が到来する前のハワイでは、ポリアモリー(多夫多妻制)の結婚が認識され、財産は共同所有されていたため、売春という概念そのものがありませんでした。ところが、西洋人の性的欲望と経済的欲望が、ハワイでのセックス・トレードを引き起こしました。
ハワイに在住していた当時の宣教師エライジャ・ルーミスの日記に、セックス・トレードされたハワイアンの子どもに関する記述が残されています。1825年、アメリカ人船長が、水夫から8歳のハーフ・ハワイアンの少女を買いました。少女を船長に売った水夫はその子の父親で、ハワイアンの女性と関係を持って子供を産ませ、他の娘たちも既に売り飛ばされていたという記録が残っています。
この少女は、父親に売られた先のアメリカ捕鯨船の船長の元から逃れ、ハワイアンの長老、カライモクの家に駆け込みました。カライモクはこの少女の事件をきっかけにコミュニティ内で行われていた同様の行為についても知り、衝撃を受けました。
船長は少女を返しようにと要求しましたが、カライモクは、人身売買はハワイの伝統や習慣に反すると明言し、船長の要求を拒否して、少女を保護しました。
こうして、ハワイの指導者たちが、売春や人身売買がハワイ社会全体を脅かし、又様々な病気を蔓延させる元だとみなしたため、大問題となり、そのため、1825年に売春を禁じるカプ(禁忌)が制定されました。
宣教師たちも、キリスト教の教義に基づいてカプを支持しました。しかし、アメリカ捕鯨船と軍艦の乗組員たちは売春を禁じるカプに不満を持ち、1825年から2年間に、3度にわたって暴動を起こし、ホノルルとラハイナの宣教師達の拠点が襲われました。
ハワイの指導者たちはこのような圧力に抵抗しましたが、度重なる暴動やアメリカ海軍からの圧力まで加わり、ハワイ政府は売春に関するカプを緩めるようになり、ついに1831年には売春宿が営業開始しました。
その後もネイティブ・ハワイアンの人口は壊滅的に減少したため、性病の蔓延と性的被害を食い止めるための策として、1860年代には風俗街が設けられました。
それから160年が経過した現在、アメリカ合衆国国勢調査局による、ハワイの人種多様性調査の結果では、フィリピン系、日系、中国系、タイ系、韓国系を含むアジア系が最大で、全体の37%を占めています。一方、白人は23%、ネイティブ・ハワイアンはわずか10%です。
その頃日本では何が起こっていたか?
日本は、アメリカのマシュー・ペリー提督が来航するまでの250年以上にわたり、西洋との接触を閉ざしていました。1853年のペリーの来航をきっかけに開国、翌年には日米和親条約が結ばれました。
それまでの250年間、日本を統治していた徳川幕府は、外部からの影響が日本を害するのではないかという懸念から鎖国政策を維持していました。幕府は一部地域を除いて外国人の入国を阻止し、キリスト教宣教師に対して迫害を行うこともありました。
ペリー提督は、1848年のアメリカ・メキシコ戦争で英雄として名を馳せた人物です。メキシコに対する勝利は、カリフォルニアをアメリカ合衆国に加えただけでなく、太平洋を越えたさらに西の新たなフロンティアを開く野望へとつながったのです。
13世紀のイタリアの探検家マルコ・ポーロによって「黄金の国ジパング」と呼ばれた日本は、豊かな海洋資源に囲まれ、西洋人からすれば「異教徒」の島国であり、経済市場や政治、さらにはキリスト教布教と植民地化の可能性を無限に秘めていました。
開国と尊皇攘夷の流れを経て、徳川幕府は終焉を迎えました。新たに成立した明治政府の下で、日本は産業革命を始め、経済成長に焦点を当て、西洋の医学や文化を取り入れました。やがて日本は中国やロシアと戦争を交え、その後、二つの世界大戦にも参戦しました。ペリー提督が来航してからの100年間は、それまで250年続いた泰平の世とは打って変わり、4度も大きな戦争をした、騒乱の時代となったのです。
海底ケーブル
海底通信ケーブルとは、陸上のステーション間で海や大洋を横断する電気通信信号を運ぶために海底に敷設されたケーブルです。ウィキペディアによれば、最初の海底通信ケーブルは1850年代に敷設が始まり、瞬時の電信通信が可能となりました。
1858年8月16日、大西洋横断電信ケーブルが運用を開始し、1872年には、南極大陸を除くすべての大陸を結ぶ海底ケーブルが敷設され、その後、電話通信が可能となり、現在ではデータ通信が行われています。
太平洋横断の海底ケーブルの敷設は当時、西洋の大国、特にアメリカ合衆国とイギリスにとって、アジア市場での商業的および政治的利益を追求し、帝国拡張を目指す中で優先事項でした。
日本国際問題研究所によれば、海底ケーブルの敷設は日本に大きな影響を与えました。この新技術は、日本の軍事の近代化や新興ビジネスコミュニティの積極的な参加を通じて国民経済の発展に寄与しましたが、政府は外国の勢力や外国企業による技術の支配のため、自国独自の通信政策を策定することができませんでした。
太平洋海底ケーブルの敷設は、北アメリカ大陸とアジア大陸を結ぶために設計され、アメリカ合衆国とイギリスの両国にとって、特に中国市場への進出において不可欠なツールと見なされました。そのため、両国は日本を戦略的に重要なポジションとみなし、日本を太平洋海底ケーブルの建設に巻き込んでいったのです。
1881年、アメリカに銃を突きつけられて強制的に銃剣憲法に署名させられた、その6年前、ハワイ王国のカラカウア王は世界一周の旅行に出ました。この旅の目的は、アジア・太平洋諸国から労働力として移民を要請することで、ハワイの文化と人口を絶滅から救おうとする王の試みとして知られています。彼の最初の訪問地は日本でした。
アメリカ合衆国によるハワイ諸島の占拠の可能性を懸念して、カラカウア王は明治天皇に対して三つの提案を行いました。1) 日本からハワイへの労働力の移民、2) 自身の5歳の姪と天皇の13歳の息子との 婚姻 を通じて両国を結びつけること、3) 日本を首班とするアジア諸国および主権国家の連合と連邦を創設すること。第三の提案の中では、ハワイと日本を結ぶ海底ケーブルの敷設も提案されました。
明治天皇および政府は第一の提案のみを受け入れました。その結果、大勢の日本人移民がハワイに渡ったのです。ハワイのプランテーションで働く日本人移民の努力と功績は、私も実際現地に住んでいて痛感しました。ハワイでは政治から教育、文化に至るあらゆる側面で、当時移民としてやってきた日本人の子孫たちが、日系人として今でも強い影響力を持っています。明治時代にやってきた日本からの移民が今日の日本人コミュニティの基盤となり、ハワイの発展に寄与したのです。
カラカウア王の第二と第三の提案は様々な理由で退けられました。その詳細は今となっては想像するしかありません。歴史は常に時代の支配者によって記されてきたのですから。
歴史から見えてくること
このような史実や150年前のハワイと日本の経済的・政治的状況を振り返ると、もしあの時、という仮説が沢山頭をもたげます。
もし日本やハワイが鎖国的状況を守り続けけていたらどうなっていたのでしょう?地域の長老や、幕府の下で、自分たちの価値観、文化、信念を貫いていたら?もし彼らが西洋人の思惑を知って自己防衛できていたら、どのような展開になっていたでしょう?もし彼らが、自分たちの生活様式がどれほど特別で優れているかを認識できていたら—他者や自然や霊と密接に結びつき調和し、エゴや物質的欲望に振り回される浅はかさに支配されずに生き続けていたら—どうなっていたでしょうか?
こういった仮定は、当時の時代背景から見たらナンセンスな考えで、ハワイと日本、そして世界がこうなるのは当然な流れだったのだろうか?と悔しながらも思います。しかし、過去の出来事は起こってしまったこととしても、今の私たちには、今の流れを変えることはできると思うのです。
カラカウア王は日本に特別な好意を持っていました。王は、ハワイアンと日本人との間に類似点を感じていたのかもしれません。おそらく、それは日本人の精神性に起因しており、自然の中に精霊を見出し、祖先や土地を尊び、家族や隣人を大切にし、支配や強制ではなく愛と慈悲でお互いを思いやる、そう言った価値観に共感を覚えたのでしょう。
大いなるものに委ねて集団想念を手放す
マウイの火災から1か月少々が経過した後、マウイへ戻っていた私は、火災直後のショックからは抜けたものの、深い嘆きと湧き上がる怒りに、重くなって二進も三進もいかない心境に陥っていました。そしてその重さは、自分自身の思いというより、集団意識の想念からくる重さだという感覚がありました。
ハワイという土地にある意識ー植民地化された地の住民の怒り、女性として性を蹂躙された無念さ、母として子を奪われた嘆き、そう言った集団意識に呑まれて、身動き取れないような感覚があったのです。宮崎駿監督の「もののけ姫」に登場する乙事主(おっことぬし)が祟り神になってしまった、例えて言えばあんな感じです。
なんとかしてこの重さを振り切りたいと思い、そのためには祈り、神に委ねなくては、と思ったのです。そして私は、新月の2日前の夜、数人の女性達と共にマウイ島の聖山、ハレアカラ山頂上を目指しました。ハレアカラ山の高さは富士山とほぼ同じ、海底から測ればエベレストに匹敵するそうです。ハワイ語で「太陽の家」を意味し、地球のハートチャクラとも言われています。
マウイの素晴らしさの一つとして、私たちが常々誇りに思うものに、コミュニティがあります。お互いに助け合い、友人同士分かりあい、近所同士で支え合う強い絆があります。私たちは長い間、パンデミックを含む困難な時期を共に乗り越えてきましたが、今回ほど、皆が大きな悲しみを経験して打ちひしがれたことはなかったと思います。「あのハレアカラが泣いている」と火災後に言った友人もいました。
今回の火災は普通の山火事ではありませんでした。皆がそれを知っていましたが、だからと言って、失われた命や家は戻りません。犠牲者の正確な数や回復にどれだけの時間がかかるのか、島の未来がどのようになるのかは現在もわからないままです。
私はその時、どうしてもハレアカラに行かなくては、と思いました。ハレアカラ山頂は、空や宇宙、また地球の中心や海の底につながる場所であり、そこには古代のレムリアが異なる次元で存在すると言われている場所でもあるからです。私たちは皆、星屑でできているんだ、宇宙から来た存在なんだ、という意識に立ち戻りたい。そう思ったのです。
ハレアカラに登って、レムリアに想いを馳せるとともに、イルカやクジラの波動に共振したいとも思いました。その波動は、小さな子供たちの笑い声のように心地よいものです。悲しみの刃に刺されて血を流しているような私たちの心を温かく抱きしめ、癒しの青い炎で心の痛みを変容させ、昇華させたいと感じていました。
雲の上にある山頂に着いた時、太陽は地平線に近づいていました。空は日の光を受けてピンク、オレンジ、グリーンに輝いて、刻一刻とその色を変えていきます。私たちは静かに座り、神聖な浄めの海塩を口に含み、日没の貴重な瞬間を見つめながら祈り始めました。ハワイの祈り(チャント)が唱えられ、私たちは静かに、その祈りの傍らで敬虔な気持ちで、大いなるものからの導きを待ちました。
以前にも何度もハレアカラに訪れたことがあり、そのたびにこの山と空の、他では感じたことのない壮大な雰囲気に圧倒されていました。今回は、ラハイナやマウイの人々、そして自分自身の癒しのために祈りを捧げ、救いと、導きを求めたくて、ここまで登ってきたのです。
雲の上の山頂で、夕日と変わりゆく空の色を見ながら地面に座っていると、心に浮かんだきたのは、祈りというよりも、ただ感謝の気持ちだけでした。その時の心を言葉で表現するならば、「ありがとう」だけです。
何事のおはしますをば知らねども かたじけなさに涙こぼるる
西行法師歌集
西行法師が謳われたように、いったいどんなものがそこにおありになるのかわかりませんが、「かたじけなさ」にただただ涙がこぼれます。大いなるものを感じて、ただそんな気持ちだったのです。
日常の中で毎瞬、喜びや美しい感情を求めるか、悲しみや苦悩の中に留まるかは あなた次第です 。
マウイの火災を通じて、そして私が過去25年間で訪れた国々での体験から学んだことは、すべての文化にはそれぞれが今も引きずる暗い歴史があるということです。その責任は、地球上で、有史以来、どの時代にも存在する闇のエネルギーにあります。
この闇エネルギーが長い歴史を通して存在し、ハワイや日本、そして世界中の多くの文明がその影響を、今現在も受け続けています。それがわかったところで何ができる、と言って、目を背けたり、萎縮したり怖がったりして、私たち人間が本来持っている善意や、優しい心、思いやりや共感力を忘れたり、諦めたりするわけにはいきません。
もう一つ、今回の災害で学んだことは、悲しみ、喪失、痛み、怒りの感情を感じることは完全に正常であるということです。しかし、コミュニティや島、国、文化として癒しを得るためには、災難を神聖な存在に委ね、悲嘆にくれる自身の感情と、重くのしかかる集団意識を愛に変えてもらうよう求める必要があります。闇のコントロールを受けてきた人類の歴史を通して、沢山の集団想念が地球上には存在しています。
それらの集団想念を昇華させるために、神、宇宙、先祖、神聖なる母、または大いなるものに委ね、あなたの痛みや悲しみを引き受けてくれるよう真摯にお願いしてください。
そうすることで、感謝の念が湧いて赦しの境地に至り、心は無条件の愛に解放されるのです。
痛みを無条件の愛に変える
災害などの困難な状況に直面したとき、集団的想念に呑まれないためにどうしたらいいか、5つの方法を以下にシェアしたいと思います。これは自然災害でも、その他のどんな災害的な状況にも当てはまります。
思いつく中で最も美しい場所はどこですか?そこを訪れ、感謝の気持ちを取り戻しましょう:私はマウイ島という自然豊かな島に住み、身近にその美しさにアクセスできる、大変恵まれた環境にいたと思います。日本に帰国した今、思うのは、この国もまた、四季折々の大変美しい風土に恵まれた国だと。そして、その穏やかな心安らぐ美しさは探せばすぐにでも見つけられるということです。そんな場所は公園の木の下や、田んぼ沿い、神社の境内にもあるかも知れません。コンクリートジャングルに住んでいて、忙しい生活を送っている場合は、少なくとも一日に一度、できれば何度も空を見上げてください。
静かな瞬間を持ち、手をハートに当てて自分に「今どんな感じ?」と問いかけてみましょう。自分の心の温かさを感じ、感謝の気持ちが湧き上がるのを待ちましょう。ハートの鼓動に感謝の気持ちを持ち、感謝の感情に触れると、それが周りにも広がっていくことでしょう。
すべてはうつろう。変わらないものはないのだと覚えておいてください:どれ程の痛みを抱えていても、どんなに楽しい時間を過ごしていても、状況は必ず変わります。
古代エジプトでは、青い蓮の花がさまざまな儀式に使用されていました。蓮の花は泥水の表面に咲き、夜になると閉じ、朝に再び開きます。毎晩、この花が太陽神ラーのためのベッドになると信じられていました。千枚の花びらで彼を抱きしめ、休息と再生のエネルギーを与えます。そして翌朝、開いた蓮の花から出て行き、ラーは再び世界に光をもたらすのです。
今夜、寝る前に、あなたが柔らかく繊細な花びらに抱かれ、香り高い花の中で安全に守られて眠ると想像してみてください。花びらに包まれて眠っている間に深くリラックスし、リフレッシュします。翌朝には、新たなエネルギーと力をもって新しい女神/神として目覚めるでしょう。
愛に焦点を合わせることで、闇のエネルギーを遠ざけることができます:愛に焦点を合わせる鍵は、常に自分の人生において何が最も大切かを思い出すことです。災害に直面したり、困難な状況の最中では、すべての出来事には理由があるのだと信じ難いかもしれません。けれども、その究極の理由は常に愛のためなのです。宇宙があなたに学んでほしいのは、自分自身を愛することで強くなり、自分を信じ、自分の内なる力を思い出して人生を全うすることなのです。
自分で全てコントロールしようと思わず、手放し委ねること:全てをコントロールすることはできない、自分の範疇ではないと気づき、それを早く受け入れるほど、早く重荷から解放されることができます。
戦争、火事、病気、別れなどの災難に直面したとき、後悔や罪悪感や自己非難に悩まされたりするかもしれません。未然にそうなることを防げたのではないか、異なる行動が取れたのではないか、などと色々な思いが頭の中でせめぎ合うかもしれません。そのように考え始めると、後悔や怒りの無限ループに陥ってしまいます。
過去ではなく、今を生きることが重要なのです。自分が悪いわけではないこと、周りで起こるすべてのことを自分が引き受ける責任はないことを思い出し、自分を責めるのをやめましょう。この人生でやるべきことは沢山あります。負の感情から解放されて軽やかな波動でいることで、あなたが真にすべき事に集中することができます。手放すことが非常に重要なのです。
歴史を学び、良い面に焦点を当てることが重要です:過去を繰り返さないためには、闇が何をしてきたのかにまずスポットライトを当てなくてはいけません。自分達の文化と歴史を学びましょう。
長い人類の歴史を通して、そもそもなぜそんなにも残酷な戦争が起こるのか疑問に思ったことはありませんか?どうして私たちは何百万もの無実の市民を殺す戦争を繰り返してきたのでしょう?そして、なぜ今でも戦争が続いているのでしょう?歴史から何も学んでいないのでしょうか?
災害や戦争の背後にある謎について考えるときは、さらに深く掘り下げ、自分の目で事実を確認するために調査することが大切です。盲目的に言われたことを信じるのではなく、自分で調べることで隠されたり歪められたりした信じがたい話や事実に出会うかもしれません。それらの事実はショックで不快かもしれませんが、私たちの責任は真実の歴史を未来の世代に伝えることだと私は信じています。
過去の過ちや失敗に光を当て、私たちの子供たちがそこから学び、私たちよりも賢く、より良い世界を作って行けるよう、できるだけの事をしたいのです。戦争や災害の原因を無視し続ければ、同じ過ちが繰り返されてしまうでしょう。私たちは先祖が犯した過ちから学び、より善い人間にならなければなりません。それが先祖たちの願いであり、集団想念を書き換え、人類としてこの地球という惑星で生き残っていく手段だと思うのです。
実習
1. これまでに災難を経験されたことはありましたか?地震、火事、洪水、病気、紛争、または何か非常にショックでトラウマになる程の影響を受けた、その他の出来事かもしれません。下に書いてみてください。____________________________________________________ ____________________________________________________ ________________________________________________________________________________________________________ ____________________________________________________
2.その災難を身体的にも感情的にもどのように乗り越えましたか?____________________________________________________ ____________________________________________________ ________________________________________________________________________________________________________ ____________________________________________________
3.困難な時期を乗り越えた経験を通し、あなたにとって神仏、ご先祖、宇宙、大いなるものは、どんな存在だったでしょう?____________________________________________________ ____________________________________________________ ________________________________________________________________________________________________________ ____________________________________________________
4.目を閉じて、その辛い時期を思い出し、手をハートに置いて感じたとき、あなたのハートの痛みは、1から10のスケールで測るとどのくらいのレベルですか?____________________________________________________
5.あなたがその災難を経験されてから何年または何日経過していますか?痛みがどれ程長く心に残っているか驚いてらっしゃるかもしれませんね。その痛みを、取り去りましょう。その痛みは、今現在のあなたの痛みではないのです。それは、経験したその時点での痛みの記憶であり、そこには色々なレイヤーで集団意識も被さって上書きされています。その集団想念と重なった痛みの記憶を消し去れるよう、神仏や大いなる存在に委ねましょう。痛みを解放させてほしいと頼んでみてください。彼らは喜んでそれを受け取り、愛に変えて地球に返してくれるでしょう。一人静かで穏やかな環境で行うことをお勧めします。その後、再度手をハートに当てて痛みのレベルを測り、記入してください。___________________________________________________
サマリー
アロハとは、言葉にされていないことを聞き、見ることのできないものを見て、未知なるものを知ることを意味します。辛い経験をすると、痛み、悲しみ、怒りが大きくのしかかってきて、その感情を克服するのが難しいと感じるかもしれません。そこにはもちろん、恐れという感情もあるでしょう。
その重い感覚は、有史以来、人類が行き当たった数々の略奪、凌辱、暴行の集団的記憶とその想念がいく世代にも渡って、根深く地球上に残っているため、一度災難を経験すると私たちの意識も共振してしまって、余計に振り払うのが難しいのです。
しかし、先祖や周囲の偉大な精霊、宇宙、神仏から受け取る無条件の愛に焦点を当てると、子供たちや未来の世代に愛を伝える重要性を、私たちは再び思い出すことができるのです。私たちは、革命的な大変容の時代に生きています。この事実は偶然ではなく、私たちは皆んな、地球上で最も偉大な愛の革命を起こすために今の時代を選んで生まれてきているのです。大切な任務を果たすために生まれてきたのです。
先祖たちは愛情深い魂で見守ってくれています。あなたが勇気を持ち、目を大きく見開いて、子供たちや愛する人たちのために一歩一歩努力していることを誇りに思っているはずです。
どの文化に属していても、どんな歴史があっても、過去にはあなたのような愛情深く思いやりのあるヒロイン/ヒーローが存在しており、その人たちがいたからこそ今、あなたも私も存在しているのです。毎日こうして息をし、風や花の香りを楽しみ、子供たちの笑い声を聞いていられるのです。先祖たちの愛を忘れず、その遺志を次の世代に伝え、無条件の愛を育んでいきましょう。それが子供たちや未来の世代へ受け継いでいく愛です。
注釈:ハワイの歴史の要約を作成する際に使用した文献
Women’s Exchanges: The Sex Trade and Cloth in Early Nineteenth-Century Hawai’i, a thesis written at the University of Hawaii, “Captive Women in Para- dise 1796-1826: The Kapu on Prostitution in Hawaiian Historical Legal Context” by Noelani Arista.




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