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ただ “今ここ”で確かに感じたワンネス──Dances of Universal Peaceを体験して


ただ “今ここ” にいるだけで、涙がにじんでくるような時間がありました。


祈りを歌に乗せ、手をつなぎ、輪になって踊る──Dances of Universal Peace。初めて体験したそのダンスの中で、私は「ワンネス」という言葉の意味を、静かに、深く、身体で受け取った気がします。


先日、愛知県の離島・佐久島で開催された「Dances of Universal Peace(DUP)」に初めて参加してきました。


DUPは、1960年代のサンフランシスコで生まれた平和のためのダンス。スーフィーの精神性を背景に、イスラム、ヒンドゥー、英語、日本語、アラビア語など、さまざまな言語で祈りの歌を口ずさみながら、手を取り合い、輪になって踊ります。


今回のテーマは「Divine Feminine (神聖なる女性性)」。


井戸を女性性の象徴と見立てたダンスや、輪の中心を“子宮=宇宙”に喩える場面もありました。中でも印象深かったのは、マリアがイエスを宿したときのエピソードをもとにしたダンス。


──恐れおののくマリアに、大天使ガブリエルが告げた「恐るなマリアよ、これは祝福なのだ。祝福あれ」という啓示。その神聖な場面を、当時の言語であるアラム語で歌いながら踊ったのです。


「恐れていると、啓示の声が聞こえなくなる」──そんなメッセージが込められたダンスでもありました。


そして、「You are the face of God」「You are the part of me」という英語の祈りの歌。“あなたは神の顔、あなたは私の一部”──つまり、神は私の内にあり、あなたの中にもある。その言葉の響きに導かれながら、手を取り合い、目を合わせ、心を通わせていくうちに、自然と涙があふれていました。


佐久島のやさしい風、波の音、自然とともに流れる祈りと人の想い。人は本能的に、誰かとつながり、愛し愛されたいと願っている──そんな根源的な「人間らしさ」に、静かにふれる時間となりました。


そこには、自他の境を超えた「ひとつなる心=ワンネス」がありました。それはまさに、私が大切にしている“愛道(マナイズム)”の本質──“本当の自分”とつながり、目の前の誰かと、ただ純粋に心を通わせるということ。


理屈であれこれ考えるよりも、ただ“今ここ”に在ること。耳を澄まし、声を美しいメロディに乗せ、それに合わせて身体を揺らす。そのシンプルさが、かえって心を大きく開いてくれる。


違いや“意味”にとらわれるのではなく、ただ安心とともに、その場に“在る”ことと仲間の温もりに委ねること。そうすれば、人の心は自然と愛にほどけていく──「愛さずにはいられない」そんな本質に、改めて気づかされた時間でした。


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